30代独身の静かな生活

30代の日記。生活、婚活など。

無意味な時間に罪悪感がある

 消化不良の1日だった。昨日の神社参拝で少し気分が良くなったので、今日も引き続き外出してメンタルを維持するつもりだったが、昨日の夜は寝るのが遅くなってしまったせいで、起床が10時過ぎになってしまった。睡眠の質も悪く、悪夢にうなされながら二度寝を繰り返すことになったので寝起きの気分は最低だった。無理やりにベッドから出て身支度をするも、スタートダッシュで躓いたこともあって半ば外出する気力がなくなってしまった。その後はスマホを片手に、yahoo!ニュースやらinstagramやらを無為に眺めて、出かけるかどうかをずっと逡巡していた。今日は出かけないという選択肢を取ろうかとも思ったが、貴重な晴れた休日家にいると後悔することになりそうだし、セロトニンも合成させたいということで、15時頃になって図書館に行くことにした。
 市営の図書館は一応徒歩圏内にあって、築浅で清潔感がある。勉強をしている中高生や新聞を読んでいるシニアに混じって椅子に腰かけて、新書を読むことにした。だが読み始めたは良いものの、ただ文字を眺めているだけで意味内容が頭に入らないので、早々に読むのをやめてしまった。雑誌をパラパラとめくったり、たまにスマホを眺めたりしていた。何かを得るための読書はできない状態だった。図書館に来たのは良いものの、おそらく深層心理では「何もしたくない」状態だったのだと思う。出かける前もずっと「今日はどこに行こうか」と考えていたが、行先のアイデアが浮かぶと同時に、それを否定する理由も考えていた。要は出かけたくなかったのだと思う。本能的にはダラダラしていたい。だが、有意義な休日にすべきだという意識が高い部分も内在しているため、自宅でダラダラ過ごすことに罪悪感を抱えるというジレンマがある。別に休日なのだから好きに過ごせば良く、有意義である必要はないはずなのに、寝っ転がってスマホを眺めていることを悪と考えてしまうのはなぜなのだろうか。
 結局、本がまともに読めなかったので、まるで何も考えずにスロットマシーンをひたすら回し続けているかのように、スマホYahoo!ニュースを見ていると、月末で緊急事態宣言を解除する方針というニュースが出ていて、少し心が躍った。とにかく緊急事態宣言による閉塞感と人と話せないことがストレスになっているので、少しでも行動緩和の方向に動いてくれると嬉しい。もし緩和されたら、まずは職場の同期と飲みかトレッキングに行きたいと思っている。婚活も再開したいのだが、婚活は就活みたいなもので時にストレスとなり得る。まずは同じような立場の人と話したりして、コロナ渦で鬱屈した気持ちを解消したい。

神社参拝と街歩きで心が潤う

 連日の在宅勤務による閉塞感と荒天による日照不足によって精神的に辛い日々を過ごしていたが、台風一過の今日は気持ちよく晴れていたので、気分転換とセロトニン合成のため出かけることにした。この夏の外出のために買ったのに、ほとんど出番のなかった日焼け止めを塗って出発。外は汗ばむ位の残暑だったが、どこか秋が同居しているような空気感もあって、今年も何もできないまま夏が過ぎ去っていく、そんなことを思いながら駅に向かった。
 上り電車に乗車し、大宮駅で下車。向かった先は氷川神社。かつて大宮駅近辺に住んでいたにもかかわらず、氷川神社はこれまで訪れたことがなかった。自分は信仰心が厚いわけでもないため、観光以外に神社に行くということがあまりなかった(神社の空間自体は好きだが)が、このところの自粛生活や人生に対する停滞感で心の中に堆積した汚泥のようなものを少しでも取りたかったのと、何か大きなものにすがりたい、そんな気持ちもあった。東口の雑踏を抜け大門町へ向かう。ほどなくすると、木々に囲まれた参道に合流する。よく整備された参道だった。都市化された周囲から何かを守るように木々が配置された道に厳かさをを感じながら歩いていると、不思議と気持ちが安心できた。多くの人の思いを紡いできた道だからだろうか、街が変わってもこの風景だけはずっと変わらないような、そんな普遍的な雰囲気があった(実際の歴史は承知していないが…)。

 

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 境内に入ると本殿に向かう。財布の中から五円玉を取り出し、手を合わせ、自分の心に向き合う。思い浮かぶのはここ数年変わらない願い事。参拝を終えた後は、日陰でしばらくの間休憩していた。木々に囲まれた日陰は涼しく、石畳に照射された木漏れ日と影がコントラストを作り出して良い雰囲気を出していた。普段、街中にいると人目が気になる性分なのだが、不思議と気にならなかった。氷川神社参拝後は、大宮で遅めの昼食(ラーメン)を食べて、買い物やウィンドウショッピングを少しだけして大宮を後にした。大宮駅は多くの人がいて、当然カップルだとかグループで行動している人々も多いので、少し寂しさも感じたし、帰宅後は疲れてしまい少し寝てしまったものの、久しぶりの神社参拝と街歩きは心に潤いを与えてくれた。できれば連休最終日も出かけたい。

面倒なコミュニケーションから解放された

 久しぶりに心が軽やかになった。職場の関係で月次で休日に打合せをしなくてはいけなかったのだが、それが今月で終わった。内容は重いものではないし、長時間というわけではないのだが、ふとしたときに頭に浮かんでくるのが嫌だったのと、構成メンバーの中に、いちいち蘊蓄のようなコメントや指摘を思いつくままに発言するタイプの評論家のようなおじさんがいたというのが特に憂鬱だった。今年は新型コロナウイルスの関係で例年と同様に対応できないことがいくつかあった。このため自分の担当分野に関しても、状況に応じて対応方針を考えて説明する必要があったのだが、対応方針に関して(ほぼ満場一致しているにもかかわらず)、いろいろと話しを広げてくるので、いちいち説明したり反論したりしないといけないのが鬱陶しく感じた(自分だけではなく、他の人の発言に対しても同様)。もちろん、論点に即した建設的な提案だったり、重大な問題点の指摘であれば、歓迎すべきことだし、そのために議論をしているのだと思っているが…。
 そういえば、かつての上司にもこういうタイプの「評論家おじさん」がいて苦手に感じていた。ある事柄について相談すると、その事柄に関する自分の経験だったり知識をひけらかしてくるのだが、その内容は論点と直接は関係しないことだったり、理論的には想定されるけど実態を考えると無視しても良いレベルの話だったりする。関連はしているが解決策でもないし重要な問題点の指摘というわけでもないため、話がまとまらなくなって扱いに困るし、一緒に仕事をしているのに「ご意見番」のような第三者的な意識にも腹が立った(そのことに起因しているのかは分からないが、その上司は社内でも特に評価はされていない)。
 評論家おじさんの発言全てが無益だとは思わないが、仕事を利用して自分の知識や経験を誇示したいという承認欲求のような意図が透けて見えるのが癪に障るのと、本論と関係のない話をされることで余計なコミュニケーションコストを支払わなければいけないという点が生理的に受け付けないのかも知れない。後者に関しては、「ああ言えばこういう」といった弁が立つ人であれば、うまく切り返せる(そもそもが的を得た発言ではないため)のだと思うが、残念ながら自分は脳の回転が遅いし、コミュニケーションが苦手(特に大勢の注目を浴びると頭が真っ白になるときもある)なので、いきなり明後日の方向から指摘やコメントをされると、慌ててしまって的外れな発言をしていまったり、答えに窮してしまうことがある。最終的には軌道修正されるので何か問題が生じるわけでもないのだけど、自分としては30歳を過ぎてあたふたするのもみっともないと思うし恥をかかされた気がして精神的に引きずってしまう。そのため、毎回議論を入念に事前シミュレーションして臨まなければならなかった。こうして書くと自分に起因する問題でもあるとは思うが、なんにせよ余計なストレスは抱えたくないので、ストレス源が1つ無くなってほっとしている。

今日も一言もしゃべらなかった

 今日もテレワーク。一言も言葉を発していないと思う。今は仕事がそんなに忙しくないこともあって、上司に定例報告のメールを送る以外にコミュニケーションはない(それもほとんどが一方的に報告するのみで返信が来るわけでもないので、厳密にはコミュニケーションとは言えないと思うが)。外出は朝のごみ捨てとスーパーに買い出しに行くくらいだ。終業後に外出することは可能だが、薄暗くなってくると外出が億劫になるので結局一人で家にいることが多い。まるで一人で潜水艦に乗ってあてのない航海をしているかのような、誰とも話すこともない無味乾燥な毎日に本当に辟易している。
 誰かと他愛もない話をしたくて仕方がない。だが、自分には職場以外に交友関係がない。職場の同期とか同年代くらいの先輩に連絡をとってみたりもしたけど、用事もないのにそんなに頻繁にもできないし、返事の仕方に忙しそうな感じもして、なんとなく躊躇ってしまう。それに相手から連絡が来ることはあまりない。みんな独身だけど世間話とか他愛もないLINEをやり取りできる友達や彼女がいるのだろう。以前の職場は同年代で独身の同僚がいたので勤務時間外含めてお茶とか食事をしながら世間話をしたりしていたし、コロナ前は遊びに行ったりもできたのであまり寂しさを感じなかった。今の職場は上の年代ばかりで同年代の同僚がいないから、どうしても気を遣うし世代や立場が自分と異なるので話は合わないときもある。同年代の同僚とは休日に遊びに行く計画(トレッキング等)もしているが、緊急事態宣言期間中は避けようということになっているのでなかなか実現できずにいる。
 自分は人付き合いは苦手だけど、苦手というだけで本質的には寂しがり屋なのだと思う。些細なことを気にしたりして、苦手に感じているというだけで人と話すのが嫌いなわけではない。なんとなく気が付いていたのに、自分は「人付き合いが嫌い」とか「一人が好き」と思うようにしていた。人と接して傷つきたくなかったし、ひとりぼっちの惨めな自分を認めたくなくて、「一人が好き」と思いこむことで自分を守っていたのだと思う(この辺の経緯や自己分析もいつかまとめたいと思う)。何年か前、婚活を始めようと思ったのも、寂しがり屋の自分を少しずつ認められるようになってきたからというもあるのだと思う(理由はほかにもあるが)。コロナ禍によって、本当の意味で一人になって、一人でいることの限界を嫌というほど実感させられることになった今は後悔しかない。

家以外の居場所が欲しい

 もうすぐシルバーウィークだけど、特に予定はない。有給休暇も1日だけにした。緊急事態宣言期間中だし行動緩和も未だ実施されてないから開放感がなくて気分が乗らないということもあるけど、やりたいことも行きたいところも思いつかない。このまま特に何も思いつかなければ家で気の向くままに過ごすことになりそうだ。家でのんびりすることも嫌いではないのだが、ずっと家の中にいると内省的になってしまって、精神衛生上良くないし、ちょっと勿体ない気もして罪悪感も抱いてしまうので、少しはお出かけもしたいと思っている。
 前回も書いた通り基本的に人が多いところに行くとエネルギーを消耗するし、単独行動だと後ろ指をさされているような気がしてしまう(大半が被害妄想なんだろうけど)ので、静かで雰囲気の良いカフェでゆっくりと本を読んだり、ネットを眺めたりしたいなと思っている(もちろん家でもできるけど、やはり停滞した気分を変えるには普段とは違う場所である必要がある)。最寄り駅にドトールとかのチェーンのコーヒーショップがあるが、落ち着くようで落ち着かない感じで、自分の求めている寛ぎとはちょっと違う気がする。人が多くて気になるし、一人当たりのスペースも狭い(その代わりにドトールはお財布に優しいので、割と便利に利用させてもらっているが)。他に何か良い場所はないものかとgoogle mapで調べていたら、郊外型の店舗(星乃珈琲等)が近くにいくつかあったので、ゆっくりできそうだなと思って行ってみたが、満席で入店待ちの状態。時間帯にもよるとは思うけど、いつもと違う場所でお茶やおしゃべりをしたり、勉強したりしたいのはみんな同じなんだなと思った。
 自宅とは違う「居場所」を見つけたい。理想は程よく落ち着いている穴場のようなカフェ。できれば公園か水辺の近くにあって静かな音楽が流れているような雰囲気の良い場所が良い。ターミナル駅のような都会だとしても大勢の人が行き交う様子をぼうっと眺めていられるような場所(ビルの上など多くの人から注目されない前提)でも良いかも知れない。どこかにあるんだろうなと思う。

出勤しただけで疲れた

 今日は久しぶりの出勤日だったが、出勤しただけで疲れていた。文章を読んでも内容が頭に入ってこないし、簡単なメールを打つのも億劫で、まるで脳がオーバーフローしているような感覚だった。幸い仕事は忙しくなかったので、なんとかやり過ごしたが、早く帰りたくて時計の針ばかり気にしていた。本当は帰りに秋冬の服を見たかったのだが、そういう気力がなかったので、さっさと下り電車に乗って、最寄りのスーパーで軽く買い物をして帰ることにした。
 テレワークばかりで社会に出なくなっているので、疲れやすくなっているのかも知れない。そうでなくても人が多い場所に行くと、どっと疲れてしまうタイプだ。最近は新宿などの繁華街に行っても用事が済んだらサクッと帰っていて、あまりブラブラしなくなった。年を重ねて歩くのが面倒になってきたのもあるし、多くの人々がカップルとか仲間で遊んでいるのに、一人で行動していて居たたまれなくなるというのもあるが。
 とにかくストレスを感じやすいタイプだと思うので、無理は禁物だと思っている。来月あたりから緊急事態宣言により凍結していた仕事を再開するような雰囲気なので、おそらく残業が発生することになるだろう。残業といっても、20~21時には帰っているので、一般的にはそんなにハードではないと思うが、自分としては日々をやりくりするだけで精一杯となってしまい、貴重な土日も溶かしてしまうこともしばしばある。そうなってくると何のための人生か分からなくなるので、とにかくストレスをしっかりコントロールしていくことが課題だ。
 今日、帰りに寄ったスーパーで最近あまり買うことのなかった甘いもの(シュークリーム)が目に留まった。身体がストレスから甘いものを欲していたのだろう。ここで無理に欲求を抑え込むと後に暴飲暴食に走ったりといった悪影響を及ぼす場合もあるので、素直に購入した。小さなことではあるが、何事も積み重ねだと思うので、なるべくこまめにストレスを軽減させていきたい。

シンプルな中華そばが好き

 9月になったと思ったら、あっという間に2週間が経過してしまった。だいたい半月ということで、今日までの食費の合計額をマネーフォーワードで確認したら約22,000円だった。内容は大半がスーパーでの食料品の購入。以前書いた通り今月は4万円くらいに収めたいと思っていて、多少は意識して買い物をしているのだが、思ったより使っているなという印象。コスト削減と買い物効率化のために、お米など日持ちする食材をまとめて買ったので、それらが効いているのかも知れない。あとは筋トレに関連してプロテインを割るための牛乳だとかギリシャヨーグルトなどは多めに買っているために少々高めになっている可能性もあるが、その代わりにお酒とかお菓子といった嗜好品は買っていないからその分で吸収できている気もする(ちなみに、お酒やお菓子は特にやせ我慢しているわけではなくテレワークで仕事のストレスが減ったためか自然と買わなくなってしまった)。4万円を円超えるかどうかは微妙なラインかも知れないが、まだ玉ねぎとか小分けにして冷凍した豚肉が残っているので、これらを計画的に消費することで目標に少しでも近づけたいと思う。
 ところで、まとめて買っている野菜(たまねぎ、にんじん、じゃがいも)が大活躍している。これらの食材で肉じゃがなどのいろいろなメニューを作れると思うが、気に入っているのはポトフ。野菜をざく切りにして、好きなお肉とコンソメの素で煮るだけ。非常にシンプルだが、野菜の優しい甘味が溶け出したスープと、ホクホクになった野菜の味がダイレクトに味わえるし、とても身体に良さそうな気がする。年々、こういうシンプルなものが好きになってきている気がする。例えばラーメンなどは以前はがっつり濃いめのものを求めたりもしたけど、今は「中華そば」みたいなシンプルなものが一番好きだ。ちなみにラーメンといえば、袋麺の「サッポロ一番塩ラーメン」も昔は物足りないような印象を受けていたけど、今はシンプルで飽きないし、野菜に合うので好きになっている。脂っこいものとかジャンクフードも嫌いではない。というか好きな方かもしれない。それはそれでおいしいと思うので今でも食べている。ただ「どこかほっとするような味」が良いなと思うことが多くなった気がする。
 ちなみに今日もポトフを作った。少し多めに作って冷蔵庫で保管している。明日の朝ごはんにしたり、カレールウを入れてカレーにリメイクしたりしようと思っている。これから気温が下がってきたら定番化するかも知れない。