30代独身の静かな生活

30代の日記。生活、婚活など。

どうやって出会えばいいのだろう

 足下の新規感染者数は明らかにピークアウトしている。ワクチン接種がこのまま順調に進んで、デルタ株のような強力な変異株が新たに出現しなければ、医療ひっ迫も解消に向かうと期待されるため、月末が期限の緊急事態宣言は解除されて蔓延等防止に移行するかもしれない。政府はワクチン接種等を前提とした行動制限の緩和を検討する旨を発表しており、すでに正常化を見据えて先手を打っているようだ。今後は緊急事態宣言期間中だったとしても、ある程度の活動が可能になりそうだ(当然、引き続きの感染防止策は前提だと思っている)。
 感染が拡大しだした7月頃から婚活を休止しているので、行動制限の緩和は朗報ではあるものの、交友関係が狭いので出会いの場というと婚活市場(マッチングアプリ、婚活パーティ、相談所)くらいしか有力な選択肢がない。アプリに関しては、昨年と今年にそれぞれ数か月やってみたものの、実際に会うことができたのは僅かに4人。出会った方々に関しては、波長が合う人もいたが自分の好みとは少し違う感じがして特に進展しなかった。アプリのようなオープンな婚活市場はスペックを比較されてしまうし、男性会員の方が多いらしく、自分のような平均かそれ以下のスペックだと特に不利になる(表面的なスペック以外にも至らない点があるのだろうけど)。これといった持ち味もなく無個性なので、身長、年収、容姿といったスペック以外に訴求する部分を打ち出すというのもなかなか難しいことだった。
 婚活パーティに関しては昨年の秋冬に集中的に参加していて、こちらはアプリと違って実際に会って強制的に話せることから、スペック以外の会話内容や雰囲気を評価してもらえる利点はあった。こちらとしても実際に対面することで、相手の雰囲気が分かるためミスマッチがなくて良い点もあるのだが、好印象の人は各回1~2名程度のため、人気が集中してしまうし、自分の力が及ばないこともあってマッチングはできなかった。いくらかマッチング希望は頂くので、全く目がないわけではないと思うが、特に惹かれない人や価値観が異なっていると思われる人となし崩し的にマッチングしても仕方がないと思い、ピンと来ない限りはマッチング希望を出さなかったのもある。アラサーで非モテのくせに偉そうだと思われるかも知れないが、直観で良いと思わないとどうしても身が入らない。結局、無理が出てしまう。
 実際のところ、婚活を休止しているのは、緊急事態宣言期間中というだけではなく、なかなか思うような成果のでない婚活市場での活動に疲れてしまっていたのもある。うまくいかないのは婚活市場の構造的な要因(スペック勝負・男女比・既婚等の虚偽申告を運営者が排除しきれていない)だけが原因でなくて、自分自身の問題もあると思うものの、自分は非婚活市場での出会いを求めた方が良い結果になるのではないかという気がしている。と言っても、現状、具体的な策は思いつかないので、結局はマッチングアプリに頼ることになるかもしれないけれど…。

映画を定期的に観に行こうかなと思った

 「竜とそばかすの姫」を観てきた。面白かった。ストーリーの展開の仕方が賛否両論らしく、確かに若干違和感を感じる部分はあるけど、過去の克服と成長を主軸にしていると思われるストーリーはブレてないし、仮想空間等の描写が圧倒的で自分はそれだけでも楽しめた。ちなみに細田守監督の作品は初めて観たが、他の作品も観てみたいと思った。
 普段はあまり映画を観ない。大体年間2~3本くらいだと思う。しかも観るときは人に誘われて観るというパターンがほとんどである。映画が嫌いというわけではないけど、好んで観るタイプでもないという感じだった。ただ、コロナ渦による自粛生活が始まってからは、できることが限られてしまったため、(自分にしては)観に行く機会が増えて、今年は5本目くらいだったと思う。自宅から近い場所に映画館があるので気軽に行けるし、感染対策のため席を1つ空けて座ることになっているので、ゆったり観れる。
 映画を観て帰ってくるとなんとなく清々しい気持ちになった。映画館という空間で作品に集中して観ることで、脳がリセットされるような、そんな感じがする。やはり自宅にずっと引きこもっているのは身体に悪い。何もしていないと、意識が自分に向かうため、不安感や過去のことが頭に浮かんできて循環してしまう。映画を観ると作品のテーマや意味内容を考えたり、映像のディテールを観ることに集中するためか、強制的に脳のタスクを切り替えられる気がする。あとは、映画館という集中するための空間・設備というのが、余計なことを考えないために良いのかも知れない。自分の場合、自宅だとリラックスし過ぎて(それが良い点かも知れないが)、どうも他に意識が行ってしまうし、自宅なので非日常という感じがしない。映画館で映画を観ることは、車の運転でリフレッシュされるのと原理は近いのか知れない。
 今まで少し関心が薄かったが、実際たまに映画を観ると結構感動したりして観て良かったと思うことも多いし、普段と違う世界を映像を通して体験するというのがメンタルの維持にも良さそうだ。1,900円(実際は、福利厚生でいくらか割引があったが)くらいで気分転換ができると思えば悪くない。それどころか今日観たようなハイクオリティのアニメーション(CG?)などは、相当の労力と時間をかけて制作されていることが想像されるので、ますます1,900円というのはコストパフォーマンスが良く思えてくる。
 社会人というのは時間をお金に変換しているので、お金はまあまあ手に入るが、時間は限られてしまう。時間はどんなにお金を積んでも取り戻すことのできない一番貴重なリソースなので、できるだけ良い時間の使い方をしていきたいと思う。タダだからといってTwitterとかYahoo!ニュースのコメント等を長々と見てネガティブになるくらいなら、数千円で映画を観る方が良い気がするので、定期的に観る時間を設けたいと思っている。それに、映画の話ってだいたいの人に通じるので、婚活の際、話のネタの1つにもなるだろうし。

ストレスでお腹の調子が悪くなり病院へ行った

 このところのすっきりしない天候と閉塞感によるストレスのせいだと思うが、お腹の調子が悪くなったので病院に行くことにした。かかりつけの病院は少し離れた場所にあって車で50分ほどかかる。朝起きたときから気だるくて、10時過ぎにようやく出発。近くの病院を探しても良いのかもしれないが、そんなに頻繁に行っているわけでないし、その病院の先生やスタッフの対応が気に入っているので、あまり変えようと思っていない。
 順調に車が流れる郊外のバイパス道路をひたすらに走る。広がる田んぼに倉庫や工場、送電線、派手な看板が点在し、少し寂しささえ感じさせる道路。BGMに藤井風の歌を流しながら走っているうちに少しづつ気分が良くなってきた。車の運転は好きだ。普段、自宅にいると「なんとなく落ち着かない気持ち」を抱くのだが、車を運転していると緩和される。移り変わる景色と運転に集中することで余計なことを考えずに済むからかも知れない。
 運転は好きだがドライバー歴は浅い。数年前に地方に赴任した際に初めて車を買った。それまでは特に車を運転しようとは思っていなかった。車がなくても生活が成り立っていたこともあったが、一番大きな理由は、運転に苦手意識があって、臆病になっていたからだ。今は運転は上手でもないが下手でもないと思っている。高校を卒業した後、通いだした自動車学校では、当初は苦戦した(指導員が威圧的でこわかったのもある)が、特に補講になったことはないし、効果測定や検定も1度で合格している。卒業の検定の際はMTのシフトチェンジが楽しくて、このままいろいろな所に行きたいと思った。数年前、車を買う前にペーパードライバー講習を受けたが、指導員に「運転上手だよ」と言ってもらったし、今のところは一度縁石に乗り上げた以外事故はない。特に上手でもないが、全くセンスがないというわけでないのに、自分を過少評価して委縮してしまっていた。
 勇気を出してもっと早くから運転していればよかったと思う。都会だと電車等で移動するのも身軽でいいのだけど、プライバシーが確保できて、時間に縛られないというのはとても楽だ。今住んでいる場所も車がなくても生活はできるものの、車を手放そうとは思わない。
 そういえば、小さい頃は車が大好きだった。運転をしている姿がカッコいいと思っていて、車は自分にとって憧れだった。自動車学校で「運転が楽しい」と思った卒業検定のとき、自分の純粋な欲求を心の奥底にしまって鍵をかけてしまったことを後悔している。

pdfを読んでも頭に入っていない気がする

 テレワークにおいては、書類の紛失リスクがあるため、紙媒体での持ち出しは原則禁止されている。したがって、パソコンの画面でpdfやexcel表を読んだり確認したりしているが、紙媒体で読んでいるときに比べてあまり頭に入ってこないので少し悩んでいる。自宅で環境的に集中できないこともあるのだけど、文字を追っていても目が滑っているような感覚がある。それに、マーカーをしたり、手書きで書き込みをしたいし、複数の資料を同時に開いて考えたりしたい。もちろん、pdfにマーカーしたり、メモを追記したり、デュアルディスプレイとか、技術的には可能なのだろうけど、マウスを操作して、マーカーのボタンをクリックしてドラッグしたり、別のファイルを開いたりといった作業は、直観的にできないというか、頭を別のチャンネルに切り替えないといけないような感覚があって、集中が切れる。
 自分は30代前半で、Y世代とかミレニアル世代とか言われているようで、デジタルデバイスには比較的慣れている世代に区分されるようだ。確かに幼少期にはゲーム機に触れていたし、小学校に入学した頃は文部省が情報化社会を見据えて教育にパソコンを取り入れ始めた時期と重なっている。(といっても当時はパソコンが普及してなかったためか国の方針は「まずはコンピュータに慣れさせる」だったようで、ゲームをしたりペイントソフトで絵を描いたり、各々が好きなことをするだけの授業だった。)その後、windows95の普及やコンシューマゲーム機(PS、SS、64等)の熾烈な競争といったコンピュータの操作性とスペックが向上していった90年代、中学生の頃には初めてインターネットの世界に触れた。高校生になると携帯電話(確かN503)、就職後はスマートフォンになり、いつでもどこでも繋がれる社会になった。
 上記のように、デジタルデバイスや情報通信の発展とともに生きてきたから、画面で見たり操作したりすることには慣れていると思っている。職場の先輩が何でもかんでもプリントアウトしているのを見て「これくらい画面で確認すればいいのに。紙と手間がもったいない」と思うことも多々あったし、自宅だと書類はscansnapでpdf化して管理している。ただ、ほんの少し肌にあっていないような違和感を感じることがある。数年前にkindleを買った当初は読みたい本がすぐに手に入るので便利だと思っていたけど、結局紙の本に戻ってしまったし、スケジュール帳もメモも完全にデジタル化しようと様々なアプリを試しては結局紙の手帳に戻るということを繰り返している。考えがまとまらないときは、紙のノートに思いつくままに書く。ツールやアプリを使うより紙に書いた方がまとまりやすい。

 このようにデジタル化を志向しつつも、全てを電子化するのは自分は難しく思っている。デジタルデバイスに慣れ親しんでいるというだけで、結局、インプット(アウトプット)はずっと紙で行ってきた。身体は紙が基本なのかも知れない。

生活用品は無印良品で買うことが多い

 自分は無印良品の製品が好きだ。ありきたりとか、割高だという意見もあると思うけれど、生活用品にしても服にしても、シンプルなものが好みで、過度に装飾がされたものとか、デザインのためにデザインされたようなものがあまり好きでない。

 例えば自動車でいうと、ガンダムみたいにゴツかったり、メッキがふんだんに使われているデザインはあまり好きではない。それだったら、業務用車のプロボックスだとか、運送業で使用されているエブリイみたいな質実剛健な感じの車のデザインの方がよっぽど好きである。

 余計なものがないもの、機能上の必要や歴史的な経緯のもとでデザインされたもの、特別なものというより多くの人の日常に馴染んでいるもの、そういったもの好きだ。したがって、余計なものがなく、生活に根差した無印良品のコンセプトは好きだ。もちろん、全ての製品を手放しで評価しているわけではないが、生活用品などは無印良品のものを買うことが多く、気が付くと部屋のあちらこちらに無印良品で買ったものがある。

 「入手が容易」というのも無印良品が好きな理由の1つである。収納のボックスなどは同じもので揃えた方が統一感があって部屋がすっきり見えるので、収納を無印のボックスで統一して書類や雑貨等を入れて整理しているが、見た目の統一感はもちろん、同じ規格に標準化することで維持管理がしやすくなる。ボックスが足りなくなったときは、同じものがいつでも手に入るので生活の変化に対応しやすいし、反対に断捨離等でボックスが余剰になったりしても、ほかの場所に使いまわしがしやすい。気に入った製品だとしても、入手が困難だったり、廃番になったりすると同じものを揃えられなくなってしまい、別のものを探さないといけなくなる。それで新たな発見もあるかも知れないけど、気に入ったものを探すのは労力が要る場合もある。

 その点、無印良品は安心感がある。無印良品は駅ビルや大きなショッピングモールのテナントに入っていることが多い。これまで地方を含めて何度か引越しをしているが、無印良品が身近に存在していなかったことは、ほぼなかった。全国規模で展開しているため、壊れたり同じものを買い足したくなったときに容易に手に入る。供給量も多くサイズも豊富だし、定番の製品は長年にわたり販売されていることも多いため、廃番のリスクも比較的少ない。

 コロナの影響で無印良品週間が少なくなってしまい残念だが、ベストセラー商品を中心に商品を値下げしたようなので、何かのついでに無印良品に買い物に行こうと思っている。

隣人の生活音にストレスを感じる

 自分は少し神経質なところがあると思う。特に物音が苦手で、必要以上に強く扉を閉める音とか、そういった類の音が非常にストレスに感じてしまう。

 集合住宅に住んでいるのだが、近隣の住人の物音が結構響いてくる。引越してきた当初、寝室の壁際にベッドを設置していたのだけど、特定の時間帯になると「バン!」と結構な衝撃音が響いてきて、非常にストレスだった。壁の向こうに隣の住人のタンスかクローゼットがあって、強めに開け閉めしているのだと思う。注意しようかどうか悩んだが、本当に隣の音だという確証もない(集合住宅の騒音の特定は容易ではないようだ)し、直接言うことで、口論になるなど余計なトラブルを抱えて悩みたくないので、結局、隣人と壁を共有しない別室にベッドを移動することにした。

 寝室を移動してしばらく経った頃、0時前後に別の大きな音が響いてきたので、不思議に思っていたが、今度は下階の住人から響いているようだった。今はその音は収まっているので、一時のストレスか何かでドアの開け閉めなどの動作が乱暴になっていたんじゃないかと思う。こんな具合で隣からも下からも響くので、建物の問題が大きいと思った。分譲の物件ではないので、建材など遮音性は考慮していないのだろう。 なるべく静かに暮らしたい自分にとっては結構気になることだが、自分の生活音も響いている可能性も否定できないし、四六時中うるさいわけでもないしと自分の中で無理やり合理化し、あまり意識しないようにしている。と言っても「意識しないこと」を意識すると、かえってストレスなので、音楽を流すなどして意識を別に向けている。それに、近隣の人たちからしたら「普通に生活している」という認識だと思う。実際、管理会社から生活音に関する注意喚起は何度かなされているけど、特に何か変わったわけではないので、自分が大きな音を出しているとは思っていないだろう。

 話は少し変わるが、職場でもエレベーターのボタンを強めに連打する人とか、コピー機や書類棚を強めに開閉する人がたまにいて、そういうのも同様に無自覚なんだろうなって思う。細かい話だから注意しにくい(そもそも年長者が多い)し、言われた方も迷惑をかけているという自覚もないんだろうからあまり理解されない気がするし、こうした動作は長年の習慣になっていたり、背景にストレスがあったりしそうな気がするので、矯正するのも困難だと思う。

 職場は仕方ないと思うが、プライベートでストレスを抱えたくはないので、今後、家を買うことになったら遮音性や騒音の有無の検討はマストだと思っている。

初めて肉じゃがを作ってみた

 テレワーク勤務がメインになり時間もできたため、レシピ本などを参考にしつつ、ピーマンとかの夏野菜を買って炒め物ばかり作っていたけど、以前書いた通り、保存が効くものをまとめ買いして食費を節約したいのと、買い物を効率化させたいので、日持ちする野菜(玉ねぎ・にんじん・じゃがいも)をまとめて買って、それらを使った料理をいくつか作ってみようと思った。この3つの野菜は保存が効くし、肉じゃが、カレー、豚汁、ポトフ、炒め物など様々な料理を作れるため、とても便利な野菜なのだけど、自分は皮をむいたりといった下処理をハードルに感じていて、今までほとんど買ったことがなかった。せっかく自炊も軌道に乗りつつあるので、この機会に挑戦することにした。それに、肉じゃがもカレーも豚汁も好物なので。

 まずは試しに少量をスーパーで仕入れて「肉じゃが」に挑戦してみた。皮むきはピーラーを使ったら簡単だった。お肉と野菜を少し厚手の鍋で炒め、味付けをして煮ること数十分で完成。さっそく食べてみたが、なかなか美味しかった。ちなみに、お肉は牛肉が高かったので豚こまにして、味付けは失敗が無さそうという理由で「めんつゆ(創味のつゆ)」を入れた。

 肉じゃがは難しそうだなと勝手に思っていたけど、これくらいなら今後も作れそうだ。次回は野菜の切り方などを調べてみて、もう少し見た目良く切りたいし、味付けはめんつゆを使わないで自分でやってみようと思う。豚汁なども挑戦してみたい。テレワークで閉塞感を感じているなか、料理が良い気分転換になっている。今後どのような人生を歩むにしても料理は役に立つと思うので、この機会に少しでもスキルアップしておきたい。